ジム終わりにバーで飲んでいた。健康に悪いのはわかっている。しかし、自分はバーの雰囲気が好きなのだ。客が思い思いに語り、乱雑に発生する会話がボトムアップ的な店の盛り上がりを生んでいる。誰に強制されるわけでもなく、自然発生的に交わされる会話の数々が力強い彩色を帯びている。
ふと横を見ると、知らない人がロングランドアイスティーを飲んでいた。長机に飲みかけのグラスが放置されていたので、てっきり席が空いているものだと思っていた。違った。10人掛けの長机で真横に人がいる。これは話さない訳にはいかない。「誰かがいるとは思ってなくて…よく来るんですか?」そのように切り出した。
残念ながら、会話は弾まなかった。広告の会社に勤め始めたばかりで、仕事のやり方に悩んでいることは分かった。クライアントとの折衝が多く、今週は非常に忙しいようだ。しかし、細かいニュアンスが聞き取れない。英語版のアルジャジーラの視聴で50%程度は聞き取れていたはずだが、日常会話に応用ができていない。また、こちらの方から会話を発展させるために、聞き返してみたりはしたのだけど、やはり無難で稚拙な問答しかしていなかったのだと思う。
何となく気まずくなり店を出た。しかし、それは無性に晴れやかな感情だった。人の反応を目の前で見る喜び、そして自分に失望する感情、それらを得たのだ。果たして、何日間死んでいたんだろうか、と思う。Pull Requestを投げ、レビューを受け、いつの間にかブランチがマージされるだけの日々。できる同僚の圧倒的なスピードを横目に、市場淘汰に怯える日々。意思決定権はない。デプロイ速度と品質の向上だけがチームに課された使命なのだ。「バランを弁当に乗せるバイト」と一体何が違うというのだろう。工程が下流に行けば行くほど、感情を殺さなければならない。エンジニアリングは人を幸せにしない。この2年間、自分はただ死んでいたのだと思う。